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世のデジタル化は幸せや豊かさを奪うのかもしれない【テクノロジー】

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生き方に悩む多くの人が訪れる島「フィリピン・カオハガン島」に行ってきました。カオハガンは”何もなくて豊かかな島”と言われ、世界中から「豊かさとは何か」、「幸せとは何だろう」といった疑問を持つ人が訪れます。現地の人の生活に触れ、癒され、今の自分を見つめ直すのです。私自身の旅のテーマも「生き方」。

このまま会社勤めしていくことが、本当に幸せなのか。自分の関わるデジタル化の意義とは?あらゆるモノ・コトがデジタル化していく現代に思いを馳せていました。

世のデジタル化は幸せや豊かさを奪うのかもしれない

私は仕事の上ではデジタル技術を駆使して、製造業のあらゆる工程を自動化するような職に就いています。働き方改革の法整備の後押しもあり、製造業界では自動化・AI化ロボット化、IoT化といったデジタル化が待ったなし。デジタル化無くして日本の製造業の未来は無いと言われています。

デジタル化無くして日本の製造業の未来は無い

この考え方には私も賛同しています。とくに生産性という観点から見ても、人がどれだけ関わらずに作業工程を自動化していくかが、日本の少ない労働人口で多くのものを生産するカギだと考えています。デジタル技術が進化・発展することに何の嫌悪も抱いていません。

しかしながら今回のカオハガンへの旅では、社会全体がデジタル化していくことへの危機感を感じたのです。30年前には貨幣文化も無かったカオハガンでは、徐々に文明化が進み、暮らしの質も随分上がったようです。デジタル製品もたくさん入ってきています。子どもでも14~15歳くらいの子はスマホを持っていました。

豊かさと便利さはトレードオフの関係

デジタル化で生活の質が豊かになると、失われる物はなんでしょうか。私が感じたことはコミュニケーションの希薄さです。日本ではスマホやテレビ、パソコンを見ている時間の多い事。それに伴って家族間、地域間のコミュニケーションの時間の少ない事。

この差が、カオハガンと今の自分の生活を比較してみて歴然の差があると感じました。目の前の家族と関わらずにネットを通して他人とつながる。まさにネット社会そのものの構図です。

デジタル化は、世の中を便利にはします。しかし、そこに溺れてしまえば本来の人間の営みが希薄になり、いづれ人と関わらない世界ができあがるでしょう。そうなったときに他人の事を考えられず、自分本位の生き方や考え方を押し通そうとする人たちばかりの世界になることは火を見るよりも明らかです。

会社ではデジタル化を推進する立場の私ですが、生活の中にデジタル化が浸透しすぎる事への危機感をはっきりと感じました。

モノはどんな使い方をするかで価値が決まる

カオハガンで、少しずつデジタル化が進んできていることは、仕方のないことです。誰だって新しいものは好きですし、都会で使っているものであれば、取り入れてみたい・使ってみたいと思う気持ちを誰が止められるでしょうか。

今のカオハガンの生活に触れてみると、「その日暮らし」という言葉が連想できます。冷蔵庫は無く、食べ物はどんどん腐っていくため、必要な分しか採りません。磯をあるいてナマコや貝を採って、その日の分を消費します。自然の恵みに感謝しながら。

これがインターネットでモノが注文でき、食材も生協のような宅配サービスが普及して来たらどうなるでしょうか。日本のように幸せを見失う人が溢れてくるような気がしてなりません。昔はどこの世界でもカオハガンのような暮らしをしていたはずなのに、がんばって経済成長した結果、幸せを見失うとは、やるせない気持ちがこみ上げてきました。

便利なものはどんどん使う。新しいものをガンガン取り入れる。日本はそういう国です。これは田舎も都会も関係ありません。便利なものを使うことは悪い事では無く、使い方を考えるタイミングが来ていると思うのです。

便利なものは「何をどれだけ使うか」「使わなければどうなるのか」を考えながら生きてみたいと思うのです。

デジタル化は何をもたらして、世界をどう変えていくのか

今までは、便利になること = 豊かになることだと信じていました。しかし、人と人の”生のコミュニケーション”が薄れた世界に、幸せが見つけにくくなっています。幸せを感じられないことが不幸とは限りませんが、日々に迷いが生じるのはやはり生きにくいと思います。

カオハガンで自然の恵みを頂く豊かな暮らしに触れ、さらに現実の問題(デジタル化・近代化)にも触れた今、私にできることは何か考えています。

幸いにも私は田舎に住んでおり、デジタル化が進み切った生活/自然を取り入れる生活どちらにも自分自身で舵を切ることができます。

  • デジタル化を悪としないこと
  • 自然の恵みに感謝すること

「デジタルを嫌い、不便だが人々が支え合って暮らしていた生活に戻ろう」そんな極端な考え方になるつもりはありません。便利なものは便利でいいし、それで豊かになることもたくさんあります。使いどころを考え、便利に溺れないよう心掛ける事。私の出来ることのひとつです。

また、自分の生活を見渡せば、デジタル以上に自然も存在することがわかります。自然は自分から積極的にかかわって行かなければ、触れることもなく生活できてしまいます。それでは偏った豊かさのまま生きていくことになると気付きました。今ある自然の恵みをどんな風に取り入れるのか考え暮らすこと。

この2点が今私にできることです。

さいごに

プログラムを書いたり、IoTに取り組んだり、といった今の仕事はやりがいもあり好きなことです。仕事自体に不満はありませんが、この仕事の上を続ける限り、デジタル化から離れることは不可能です。

しかしながら、デジタル化された社会でも、幸せや本質的な豊かさを感じながら生きることはできるはず。カオハガンの人々の生活を体験し、何もかも捨てなくとも、「幸せですか?」そう聞かれて「はい」と即答できる生き方が、私にもできる。そんな気づきがある旅でした。

「幸せとはなにか、豊かさとは何か」そんな疑問がありつつも、カオハガンまで行く人は少ないでしょう。私にはそのチャンスが巡ってきたことにも感謝しながら、これからの生き方を考えていきます。

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中小企業エンジニアです。35歳で急遽プログラミングを覚えることになり、PythonやJavaScriptなどをゆっくりマイペースに覚えています。先端スキルには疎いですが、楽しくコーディングしてます♪最近の興味は【WEB開発】です

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